日本医療福祉生活協同組合連合会が主催する「東日本大震災支援活動交流集会」が福島県いわき市で開催され、組合員さんと一緒に参加しました。
参加者は、北は青森県から南は沖縄県まで全国から約100名が参加しました。2日間という短い間でしたが、各生協の支援報告や現地視察を勉強しました。
現地視察では、現地の医療生協の方の案内で福島県富岡町を中心に見学をしました。

移動の車窓からは、徐染ゴミ置き場が見えました。

ガイドさんより、福島県内に約100,000ヶ所あるとのことでした。

富岡町は、福島第一原発から約15キロ圏内にあり、帰宅困難区域と移住制限区域の2つの区域がある地域です。日中のみ立ち入り可能な地域ですが、制限解除の目処はまだたっていないとのことでした。
家の除染作業があちこちで行われていました。

帰宅困難区域は、大きなバリケードで囲まれていました。

少し町中に入ると帰宅困難区域と移住制限区域が道路一本で区別をしていました。
その道路は、車がやっとすれ違えるくらいの道幅でした。こんな狭い道幅で指定区域が違うことにとても驚きました。

4年間誰も住んでいない地域は、住居や公園、線路に背丈ほどの草が生い茂り足を踏み入れることも困難です。
町を移動中も誰にも出会うことはなく、人のいない町はとても静かでした。

JR富岡駅は、駅舎はなくなりホームは雑草で生い茂り、その後ろには徐染ゴミが積み上げられていました。

駅前の商店街は、ほぼ震災当時のままで住居に自動車が流されたままでした。

富岡駅の正面の海岸からは、福島第2原発を見ることができました。

ガイドさんは、移住可能になっても戻ってくる人は少ない。戻ってこられるのは高齢者が多く、若者は避難先で新しい生活を始めており戻ってくることは難しいとのことでした。
このままでは、生まれ育った町が亡くなってしまうとおしゃっていました。
道路やJRなどの復旧は報道などで目にすることはありますが、そこに住む人の問題は何も解決していないことが分かりました。
翌日の支援活動の交流集会では、今後求められる支援について話し合いました。
支援方法も物品⇒労働⇒心身のケアと状況に応じて支援をさせて頂きましたが、これからは「福島の人をずっと見ているよ。誰も忘れていないよ。」というサポートをしてほしいとのことでした。
私たち、岡山医療生協は距離的には遠いですが行事などに福島の方々を呼んで一緒に勉強をし、引き続き寄せ書きや財政支援活動を継続していくことが大切だと思いました。そして、今後2度とこんな悲惨な問題が起こらないように活動していかなければならないと思いました。
最後に、地元のお魚を食べましたがとても美味しかったです。みなさんも現地に行った時はぜひ地元の味を楽しんで下さいね。